執筆期間 2024/11/172025/10/25

加筆 2025/11/12 敬子命名


ときめきラバーズ『わたしの沖田くん』

— 和光荘・春 — 


【わたしの沖田くん】  作者 野部利雄 集英社 二次創作 J.Magpie


わたしの沖田くん」最終回に登場した総一・琴、そして娘の敬子ちゃんが、久しぶりに「和光荘」を訪れた場面を短編小説で創作しました。

題名は作中に登場した「猫さん」山本綾子の小説名と同じです。


 

新しいスタートライン

 

琴が原町田大学を卒業して一年が過ぎた春、桜の花びらが舞うU市の小さな結婚式場で、総一と琴は夫婦となった。

 

卒業後、総一は地元U市のこども園の保父として就職をしていた。


彼は子供が大人になった様な性格で子どもたちも親しみやすく、園児たちから絶大な人気を集めていた。

 

一方の琴は、東京の大手出版社に就職したが、結婚を機にU市に戻り、地元の関連会社で編集の仕事をしていた。


史学科で培った知性と情熱を活かし、充実した日々を送っていた。


 

結婚式当日、白無垢姿の琴は、タキシード姿の総一の胸を、優しく叩いた。

 

「総一!本当に保父さんになって正解だったわね。すごく似合ってるわ」


「チャハハ、琴。俺、子ども相手には心を開けるんだ。そして、もう誰にもフラれる心配はないからな」


「バカ。もう私という一生のパートナーがいるんだから、当たり前でしょう?」

と言いながら少し不安げな琴。


「ハハッ琴、大丈夫だよ、おれ絶対に浮気なんてしないから」

と高らかに宣言する総一であった。


小さな結婚式場だが数多くの人々が駆け付け、皆は幸せそうな二人に心をこめて祝福をした。

 

そして一年後、二人の間に元気な女の子が生まれた。


総一と琴は、愛の結晶を静かに抱き上げていた。ちいさな寝息を立てている愛娘の頬は、この世の何よりも柔らかく、二人が辿ってきた道のりを祝福しているかのようだった。


「琴……この子の名前、もう決まったかい?」


 総一が優しく尋ねると、琴は微笑み総一の顔をまっすぐに見つめた。 


「この子に、人を敬う心を持ってほしいと思の、総一が私をそして周りの人々を大切にしてくれたように。」

そう言って琴は「敬子(けいこ)てどうかしらと総一に告げた。

「……敬子。いい名前だよ琴」

総一は優しく頷き、琴の手を握った。

二人の願いが凝縮されたその名前は、愛娘の小さな人生の船出に、穏やかで確かな光を灯したのだった。 


 

U市の穏やかな日常(2001年・春

 

それから十六年の歳月が流れた。

 

季節は2001年の春。敬子は中学を卒業したばかりの16歳。


高校の入学を控えた春休みに入っていた。


敬子は、母である琴譲りの涼やかな顔立ちだが、父のように明るく、誰とでもすぐに打ち解ける大らかな性格をしていた。


ある雨上がりの週末の午後、リビングで昔のアルバムをめくっていた敬子が、一枚の写真に指を止めた。


それは、二階建ての古びたアパートの写真だった。


「ねえ、お母さん、これ。すごくボロいアパートだね。これが二人の住んでたっていう『和光荘』?」


「あら、懐かしいわね。そうよ、私たちの出会いの場所よ」琴はパソコンから顔を上げ、優しく微笑んだ。


「写真で見るより、もっと年季が入ってたんだぞ。でもな、このボロさが、俺たちの青春のすべてだったんだ」総一は隣に座り、写真を見て目を細めた。


「お父さんは、ここで夜中に麻雀をして、隣から大声で怒られたんでしょう?確か、その隣の人って……」


「そうよ、この部屋よ」琴は写真の中の窓を指差した。


「私が引っ越してきたのは隣の部屋。まさか、幼なじみのお父さんが隣に住んでるなんて、あの時は思いもしなかったわね」


総一は照れくさそうに琴の肩を抱き寄せた。


「俺だって、壁越しに怒鳴り込んでくるのが、まさか中学の時の泣き虫だったお母さんだとは、夢にも思わなかったさ」


敬子は、二人の楽しそうなやり取りを見ながら、好奇心を募らせた。


「ねえ、春休み中に、その和光荘を見に行かない?もう残ってないかもしれないけど、二人の出会った場所、見てみたいんだ♡」


総一と琴は顔を見合わせ、頷いた。


「そうね、敬子。あなたの高校入学祝いに、二人の出発地点を見せてあげるのもいいわね」



 

思い出の和光荘へ

 

翌週末、総一家族は車で一路、町田市を目指した。


目的は、総一と琴の原点である和光荘を、娘に見せるためだった。


久しぶりの町田市は、16年の歳月で知らない街のようになっていた。


「総一、こんなに周りが替わったんじゃ、和光荘もないかもしれないわね」


総一は記憶を頼りに和光荘のある場所に向かった。


そして一軒の古びたアパートの前で車を止めた。


「やった琴、残っているよ」総一が指差した先には、周囲の風景に不釣り合いなほど、年季の入った二階建てのアパートが、当時のまま建っていた。


それが、和光荘だった。

 

「ここよ、敬子。よく見ておきなさい。この古びたアパートが、私達の嬉しいことや悲しい事をずっと見守って来てくれたのよ」

 

「わあ、本当に古い。でも、なんだかすごく温かい感じがする」

 

敬子はアパートの前に立ち、そして見上げた。総一は、自分が暮らしていた二階の角部屋と、その隣の琴の部屋の窓に目を向け、当時を懐かしんだ。

 

「覚えてるか、琴?俺たちは時々この窓から顔を出して、よく話をしていたよなぁ」

 

「ええっ。あなたが起こす騒動で、毎日ヒヤヒヤさせられたわ。でも、あの頃は楽しかった」

 

琴はそう言って総一の肩に寄りかかった。

 

「そして、二人で窓越しに他愛もない話をするのが、俺の楽しみだった。この窓が、俺たちの距離をぐっと縮めてくれたんだ」

 

親密で甘酸っぱい思い出話に、敬子は口を挟まず耳を傾けていた。


彼女は、目の前のアパートが自分の両親を育み、そして家族の原点となったことを肌で感じていた。

 

「この場所は、何も変わっちゃいないんだ。俺とお母さんの青春と、いろんな思い出が詰まってる。全部この空気の中に残ってるんだ」

 

総一は、和光荘という「始まりの場所」で、改めて家族の絆を感じていた。

 

「ねえ、お母さん。この場所に来てみて分かった気がする」敬子が静かに言った。


「お父さん、全然かっこよくないのに、お母さんがずっと一緒にいる理由」

 

「えっ、なぜだい敬子」優しく総一が訊ねる。

 

「だって、このボロいアパートみたいに、お父さん飾らないけど、温かくて安心できる場所なんだもん。お母さんにとって、ここが一番の居場所だったんだね」


琴は娘の言葉に目を見開いた後、優しく微笑み総一の手をしっかりと握った。

 

「その通りよ、敬子。お父さんは、私にとっての『和光荘』なの」

 

総一は、照れと嬉しさで顔を真っ赤にした。


何年の歳月が流れようとも、場所が替わろうとも、二人の関係は和光荘に引っ越してきたあの日の延長線上にある。


家族三人、今はもう他の人が住んでいる「和光荘」の前に立ち、総一と琴は、自分たちの青春が確かに家族という形で結実していることを噛みしめていた。


春の暖かい日差しが古びたアパートを照らし、総一と琴、そして敬子の愛を映すように、これからも穏やかに、輝ける季節(とき)を見守り続けていくのだろう。



総一・琴&敬子よ 永遠に!!