※新着 NEW 2025/06/01 カラーページを更新
今回、車を使用して岐阜から秋田までの出張が決まりました。いつもは日本海側を通るのですが、冬の季節で積雪も予想されるので中山道沿いを走行して、宇都宮市で一泊して秋田まで走るコースになりました。本当は仙台辺りまで走れるのですが、総一や琴の住んでいる宇都宮市にどうしても泊まりたくて半ば無理矢理の宿泊になりました(o゚▽゚)oまずは宿泊する場所を決めなくてはなりません。琴達の住んでいる場所を特定するために単行本を穴のあくようにながめました。漫画の中で琴の実家の電話番号が0286-48・・・・となっているので宇都宮市鶴田町あたりと推測されますが、砥上町かもしれないと言う不安を抱きつつ現地に向かいました。
※また、連載終了後の1999年、15年ぶりに『わたしの沖田くん』が読み切りで復活しましたが、その中で1980年連載当時の空白を埋める話があるのですが、当時と読み切りで整合性が合わない箇所があるので、今回は1980年~1984年の話を基に行動をしています。
また作中で2人がバス停で降りる描写があり、バスには〇上団地と書かれバス停には東〇〇と言う文字が見えます。
絵から推測すると鶴田町近辺の東の付くバス停は東中丸のみで、〇上団地は砥上団地しか有りませんからバス停は桜通り経由の砥上団地行きバス停は東中丸と思います。と言うことで宿泊はこのバス停の真っ正面のコンセーレさんに宿泊することにしました。写真では見にくいですが目の前に2人の降りたバス停があります。
ここが2人の降りた東中丸バス停です
まずは車で、小学生の総一が筏を作り池で溺れたとき琴に助けてもらった場所を探しました。描写では林の中に池があります。手当たり次第にGoogleマップのストリートビューを使用して探しましたが、コンクリートの調整池が多くなかなか林の中の池は見つかりませんでした。しかし何とか雰囲気の似た上欠沼という場所を見つけることが出来ました。池は釣り場が沢山有りますが林などの雰囲気がとてもよく似ているので、総一の溺れた場所はここにする事にしました。この時、琴に助けて貰ったことで総一は一生、琴に頭が上がらなくなりました。
NEW また宇都宮に行く機会が出来ましたので、以前は雰囲気が似ている上欠沼に行きましたが、鶴田3丁目から遠いため一番近い鶴田沼を訪れました。1999版『わたしの沖田くん』で琴や総一が通っていた『宇都宮市立姿川第二小学校』に最も近いので総一が溺れたのはここ鶴田沼かもしれませんね。
次に行くのは、2人が夏休みにラジオ体操をした公園を探します。検索して判ったことなのですが、鶴田町にはもの凄く小さな公園が点在しています。普通の一軒家程度の小さな公園が多数点在しています。予想の実家から近いのは、あやめ公園でしたが微妙に雰囲気が違うので、昔は人口も少なく近くの町内が集まるという想定で次の近くにあるあさがお公園に行ってみました。柵など全体の雰囲気が似ていて彼らがラジオ体操に来ていたのはここと思うことにしました。
NEW 前回あさがお公園に行きましたが、鶴田3丁目にあるあやめ公園に行ってみました。上の絵にあるように公園の先が畑なのと山も近いので、以外にもここが設定の場所かも!!
次は、小学校と中学校の探索です。学校の周りをウロウロして写真を撮っていると警察に通報されかねませんので、急いで写真を撮り退散です。学校は宇都宮市立明保小学校 と宇都宮市立陽西中学校になります。絵の中の学校にどことなく似ている気がします。※1999年の『わたしの沖田くん』では、姿川第二小学校と都宇市立西陽中学校になります。
NEW 1999版で琴と総一が通っていた小学校の描写があり、学校名は『宇都宮市立姿川第二小学校』となっているので、校門に行き写真を撮ってきました。校庭では子供達が運動をしていたので怪しまれないように手短に写真を撮り退散いたしました(o゚▽゚)o
最後に自宅の探索です。こればかりは現実の家があるわけではありませんので、色々検証の結果を踏まえて推測される辺りまで行くことにしました。まずは似ている景色を探します。小学生の2人が歩いている景色と似ていた場所を見つけたので写真を撮りました。そっくりでしょう(o゚▽゚)o
段々と日が暮れてきたので、漫画の中で書いてあった宇都宮市〇〇町三ー二に向かいます。〇〇町は鶴田町と決めつけていますので、そこに向かいドンドン歩いて行きます。鶴田町の道路はとても狭く袋小路が多くて驚きましたが、所々に漫画に出てきた電話番号の看板がありテンションは爆上がりでした。0286-48・・・・
と言うことで琴や総一の実家がある辺り宇都宮市鶴田町三ー二ー?に到着です。この辺りに琴達が住んでいるのかと思い50代後半ですが胸の高鳴りが抑えられません、ここを最終の目的地としました。現在のローソン 宇都宮鶴田三丁目店あたりと思われます。
※ただし1999年の『わたしの沖田くん』では、小学校の校区で考えると砥上町になり、中学校の校区では鶴田町になると思います。
ps 中学生の時に読んだ『わたしの沖田くん』、あれから40年以上過ぎましたが未だに心冷めやらず、昔から訪れてみたい場所に行くことが出来て、とても満たされた気持ちで一杯です。次回はもっとゆっくりと訪れてみたいと思います。
おまけ 2人が歩く先に見える山は女峰山と男体山と思います。次の日の朝にもう一度バス停の写真を撮りに行ったときに遠くに雄大にそびえているのを観て感動しました。
※最後に琴や総一が住んでいる鶴田町・砥上町が展望できる場所に、二人の肖像画を置き写真を撮って別れることにしました。私の中では永遠に二人は生き続けています。
総一&琴よ 永遠に!!